新発田城 | 新発田市の観光スポットを歩く

日本100名城

突然ですが、みなさんは「新発田」を初めて見たとき何と読むかわかりましたか?

わたしは読めなかったです。

新発田の読み方は「しばた」と読みます。

新発田の由来はいくつかあるようで、新発田の地が海岸洲(海と陸の境界線)に近かったことから「洲端(すばた)」が「しばた」となったとする説、荒れ地を新たに開墾してできた田から「新発田」とする説などがあるそうです。

名前の由来が諸説ある新発田市ですが、今回は新発田市の代表的な観光スポット 新発田城について紹介していきます。

新発田城縄張り図

新発田城は本丸を二ノ丸が取り囲み、三ノ丸が南方へつき出した変形の輪郭・梯郭式併用型の平城です。

これは、南方以外の三方が湿地であったこと、また親藩である会津方面の守りを重要視したことが考えられています。

新発田城の歴史

新発田城は戦国時代、上杉謙信の家臣 新発田重家の居城でした。

新発田重家は上杉謙信の跡を継いだ上杉景勝と不仲となり、戦いの結果、新発田氏は滅びました。

1598年(慶長3年)、豊臣秀吉の命により新発田へ入り新発田氏の居城跡を利用して築城を開始したのが、新発田城 初代藩主 溝口秀勝です。

●溝口秀勝

新発田藩初代藩主。尾張国(現 愛知県)中島郡溝口村出身。関ヶ原の戦いで徳川方に付いた外様大名。

↑溝口秀勝公

1654年(承慶3年)3代宣直の治世ときに完成。秀勝入封後、実に56年の月日が経っています。

ちなみに宣直はその後に、現在は新発田市の観光地となっている清水園(下屋敷)を建てています。

▼清水園についての記事はこちら

溝口家は274年、12代にわたり新発田藩を治めてきました。外様大名で藩主が転封することなく明治維新を迎えることはかなり珍しいことです。

明治維新後、城内にあった櫓や門のほとんどが取り壊され、堀も大部分が埋め立てられました。

現在は表門、旧二ノ丸隅櫓、本丸石垣と堀の約半分、土橋門跡付近の土塁のみが残っています。

2002年(平成14年)、全長約350mに及ぶ石垣は、石積みの施行技術が全国でもトップクラスと評価され、石垣を含む本丸の敷地の一部が市の文化財史跡に指定されました。

また2006年(平成18年)には日本100名城にも選ばれています。

▼新発田城略歴

戦国時代 新発田氏の居城。

1598年、豊臣秀吉の命により、溝口秀勝が入城。新発田城の築城を開始する。

1654年、3代宣直のときに完成。秀勝の築城開始から56年経つ。

明治維新後の廃藩置県により、溝口家 274年12代の治世が終了。

2002年、市の文化財史跡に指定。

2006年、日本100名城に選ばれる。

新発田城を歩く

見どころ

新発田城の本丸北側半分と二ノ丸の北側(二ノ丸全体の2/3)は自衛隊基地となっており、城内の一部のみを見学することができます。

新発田城の見どころは、「日本で唯一三尾の鯱がのる三階櫓」「表門」「旧二ノ丸隅櫓」です。

三階櫓

新発田城址公園駐車場から新発田城址公園(旧二ノ丸)を抜けると、まず出迎えるのは三階櫓です。

2004年(平成16年)に辰巳櫓とともに古文書などを基に木造で復元されました。

金沢城にも見られる北国ならではの海鼠壁が美しいですね。

海鼠(なまこ)壁とは

主な目的は建物を火災や風雨から守ることです。

特に潮風の強い海岸地域などでは、建物を守るために採用されていました。

平瓦を並べ目地(継ぎ目)に白漆喰をかまぼこ型に盛り上げて塗り固めた壁で、その盛り上がった姿がなまこに似ていることからその名が付いたようです。

三階櫓最大の特徴は、日本で唯一の三尾の鯱がのった櫓であることです。

海鼠壁とあいまって、その特異性が際立っています。

残念なことに、三階櫓の入口は自衛隊基地側にしかないため内部の観覧はできません。

外観を楽しむのみになります。

土橋門跡

本丸から二ノ丸へ入る一歩手前の帯曲輪へ入城するための門。薬医門の形式でした。

※2025年3月、2028年の完成を目標に土橋門の復元整備計画が開始されました。

 土橋門は古写真が残っていること、新発田市内の清水園に同型式の門が移築保存されているため復元が可能なようです。

 詳しくは新発田市ホームページの「新発田市土橋門復元整備基本計画」に記載されています。

表門

2階建ての櫓門で、旧二ノ丸隅櫓と並び、新潟県で唯一江戸時代から残る現存建造物になります。

内部も見学することができます。

辰巳櫓

表門をくぐり右手に曲がった先に辰巳櫓があります。

辰巳櫓は二層二階、入母屋造、本瓦葺きの櫓です。三階櫓とともに木造復元されました。

▼辰巳櫓内部

外から見るとこんな感じです。(実はこの角度は辰巳櫓、表門、旧二ノ丸隅櫓の3つが撮影できる撮影スポットなんです。)

~辰巳櫓にからむ逸話~

かつて赤穂浪士 堀部安兵衛の父が管理責任者で、櫓の責任をとって浪人となりました。その後安兵衛は、家名再興のため江戸に出て、高田馬場の敵討ちによって名をあげました。

旧二ノ丸隅櫓

本丸鉄砲櫓跡地に移築されたのが、二層二階の二ノ丸隅櫓です。

表門と同じく江戸時代からの現存建造物です。

▼旧二ノ丸隅櫓内部(左:1階 右:2階)

▼水堀越しに見た旧二ノ丸隅櫓

新発田城のスタンプ、御城印

スタンプ設置場所

新発田城の100名城スタンプは新発田城表門に設置されています。

ただし、冬期弊社中(12月初旬~3月下旬)は押印可能場所が変わるため注意が必要です。

▼3月下旬~11月下旬

新発田城表門

住所新潟県新発田市大手町6-4-80
押印可能時間9:00~17:00(※11月のみ16:30まで)

▼12月初旬~3月下旬

①新発田城市役所本庁舎

住所新潟県新発田市中央町3-3-3
場所・押印可能時間(平日)1階コンシェルジュセンター・8:30~17:15
場所・押印可能時間(土日・祝日・年末年始)守衛室・8:30~17:15

②白壁庁舎広報資料館

住所新発田市大手町6-4-16
押印可能時間9:00~16:00
閉館日月曜定休・年末年始

御城印販売場所

新発田城の御城印は、新発田城表門前の「安兵衛茶屋」で販売しています。

ただし、冬期閉鎖中(12月初旬~3月下旬)は販売場所が変わるため注意が必要です。

▼3月下旬~11月下旬

安兵衛茶屋

住所新潟県新発田市大手町4-5-5
営業時間10:00~16:00
定休日なし ※ただし、12月初旬~3月下旬は冬期休暇

▼12月初旬~3月下旬

新発田市観光情報センター

住所新潟県新発田市諏訪町1-2-11 MINTO館内
営業時間8:30~17:00
定休日年末年始

▼御城印

新発田城の所要時間

ゆっくり見て回っても40分ほどで回りきることができます。

※見学場所:表門、辰巳櫓、旧二ノ丸隅櫓、三階櫓(外観)

新発田城へのアクセス・基本情報

▼アクセス

【車】

①新発田城址公園駐車場(無料)へ駐車。

駐車可能台数:10台程度。

※三階櫓までは徒歩1分。表門までは徒歩3分ほどです。

住所:新潟県新発田市大手町3-2-19

②アイネスしばた駐車場(無料)へ駐車。

駐車可能台数:100台程度。

※三階櫓、表門まで共に徒歩5分ほどです。

住所:新潟県新発田市大手町4-5

【電車】

JR新発田駅より徒歩約25分

▼基本情報

住所新潟県新発田市大手町6-4-80
営業時間9:00~17:00
駐車場あり
入場料無料
縄張り輪郭・梯郭式併用型の平城

おわりに

みなさんいかがだったでしょうか?

短時間で、かつ現存建造物を間近で見られるお城は実はそれほど多くありません。

新発田市への観光の際は、是非立ち寄ってみてください。

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